大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成8年(ネ)2316号 判決

主文

一  原判決中本訴請求に関する部分を次のとおり変更する。

1  原判決別紙物件目録記載の建物について競売を命じ、その売得金を被控訴人に2分の1、控訴人らにそれぞれ8分の1の割合で分割する。

2  原判決別紙物件目録記載の土地の共有物分割請求に係る被控訴人の訴えを却下する。

二  反訴請求に関する本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第1、2審を通じ、2分の1を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴人らは、原判決取消しとともに「1 被控訴人の請求を棄却する。2 東京家庭裁判所平成6年(家)第4175号遺言書検認審判事件において平成6年4月26日に検認された田中甲子作成名義の原判決別紙自筆証書遺言が無効であることを確認する。」との判決を求め(右2は控訴人田中夏子を除く控訴人らの請求。控訴人田中夏子は当審で右請求に関する訴えを取り下げた。)、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  事案の概要は、次のとおり改めるほか、原判決2枚目表以下の「第二 事案の概要」に示されているとおりである。

1  2枚目裏8行目の「田中三」から9行目の「長男」までを削る。

2  3枚目表4行目の「6年」を「六年」に改める。

3  同9行目、同末行、同裏4行目、同6行目及び4枚目表2行目の「被告ら」をいずれも「控訴人田中夏子を除く控訴人ら」に、3枚目裏1行目の「援用をした」を「援用した」にそれぞれ改める。

三  本件遺言が田中甲子の自書によるものと認められることは、原判決4枚目表6行目から10行目までに示されているとおりである。遺言に遺留分についての配慮がなくても遺言の効力を左右するものではなく、この点に関する控訴人田中夏子を除く控訴人ら(以下「夏子以外の控訴人ら」という。)の主張は採用することができない。

四  夏子以外の控訴人らは、平成6年3月6日に被控訴人から本件遺言書を示されてその内容の告知を受けて写しの交付を受けたことを明らかに争っていないが、同控訴人らは、当時、本件遺言が無効であったと考えており、減殺すべき遺贈があったことを了知したのは原審鑑定が顕出された平成7年6月の原審口頭弁論期日においてであったと主張する。しかしながら、本件遺言の署名が甲子の自筆によるものであることは原審鑑定から明らかに認められるし、甲一と乙一〇の1~4を対比すれば、その筆跡が甲子のものであると認識することは通常人にとってさほど困難なことでないと認められる。そして、夏子以外の控訴人らが本件遺言書を示された当時、本件遺言の有効性に具体的な事実の裏付けを持ってその効力に疑問を呈していたことを認めるべき証拠はない(乙一一の控訴人夏子の陳述書によれば、夏子以外の控訴人らが本件遺言書の作成について疑問を呈したのは平成6年4月26日の家庭裁判所における遺言書検認手続のときであったが、この際も、単に甲子の署名によるものでないと思うと述べたにとどまるほか、前記二女川上桜子と五女大田松子が甲子の字と思うと述べていることが明らかである。)。同控訴人らは、平成6年3月6日に被控訴人から本件遺言書を示された当時、既にそこに減殺すべき遺贈があったことを知ったものというべきである。

同控訴人らは、甲子の死亡までの被控訴人の態度などからすると、甲子が本件遺言の内容となっている被控訴人に対する遺贈をしたとは考えられなかったから、本件遺言が無効であると信じるについての相当な理由があり、また、当時甲子の相続に関し控訴人らが委任した弁護士は病気にかかっていて適切に事務を処理できる状態になかった、遺留分減殺請求権を行使できなかったことには無理からぬ事情があったとも主張するが、これらの事実をもってしては遺留分減殺請求権の時効期間の進行を妨げることはできず、同控訴人らの右主張は採用することはできない。

右の本件遺言書を示されたときから民法1042条所定の1年間に同控訴人らが遺留分減殺の請求権を行使したとの主張立証はないので、同控訴人らの遺留分減殺請求権は時効によって消滅している(同控訴人らは右の1年内に遺言無効確認請求の反訴を提起しているが、遺言の無効を単に訴訟上主張したことによっては民法1042条による時効の進行は妨げられない。最高裁(二小)昭和57年11月12日判決民集36巻11号2193頁)。よって、本件土地建物に関する被控訴人と控訴人らの持分割合は、本件遺言の効力及びその内容によって定まるので、以下これについて判断する。

五  本件遺言の本文は「遺言者田中甲子所有の不動産で(原文字は「ある」ではないかと推察されるが、明確には判読できない2文字)である東京都荒川区西尾久7丁目60番4号を田中一郎に遺贈する」というもので、その不動産の特定として土地の地番でもなく、建物の所在地番や家屋番号でもない住居表示が記載され、地積又は床面積の記載もない。甲子が有していたのは不動産自体ではなく、その共有持分にすぎないが、その記載もない。本件遺言における遺贈の目的物件の特定記載は十分でないといわざるを得ない。しかしながら、遺言については厳格な要式性が要求されるとはいえ、その本人の意思に基づくことが認められる限りできるだけ有効なものとして取り扱うべきものであり、その効果意思の内容が不明確な場合には確実かつ合理的な範囲に限定して解すれば足りる。本件遺言についてはおよそその記載内容が不特定であるとして無効なものとすることはできない。本件遺言が甲子の自筆によるものであることも前示認定のとおりであり、夏子を除く控訴人らの遺言無効確認請求は理由がない。

六  弁論の全趣旨によれば、本件土地上に本件建物があり、本件遺言に記載のある「西尾久7丁目60番4号」は住居表示として本件建物の場所を表示していることが認められる。住居表示は、住所若しくは居所又は事業所等の施設が所在する場所の表示である(住居表示に関する法律2条)。そして、「甲子所有の」とあるのも、遺言書に記載されていると認められる特定の不動産について甲子が有していた権利である共有持分を遺贈する趣旨のものと解される。そこで、本件遺言で特定されている不動産は本件土地、本件建物のいずれか又はその双方なのかが問題となるが、当裁判所は、以下の理由により、甲子は、本件遺言において、本件建物のみを被控訴人に遺贈する意思を表示したものと解する。

(1)  まず、住居表示は、文字どおりいえば正に住居の表示であり、法律的には住居の所在場所の表示である。文字どおり解するならば、本件での「西尾久7丁目60番4号」は同所所在の建物と解すべきことになる。

(2)  甲子の夫で、三郎(控訴人夏子の亡夫でその余の控訴人らの亡父)及び被控訴人の父である太郎が昭和40年に死亡したのに伴い、その相続財産は実質上太郎の事業を引き継いだ甲子と三郎が2分の1ずつ相続したことから、その相続財産を売却したことにより取得した本件土地建物も、甲子と、昭和48年に死亡した三郎の相続人である控訴人らの共有名義となった。被控訴人は平成5年10月に田中一家の同族会社で廃品回収業を営む有限会社田中商店の専務取締役の地位を退き、それ以降は(有)田中商店の仕事から離れたが、本件遺言書作成日付当時は専務取締役の地位にあった。当時、(有)田中商店には金融機関から8,000万円を超える借金があって経営は順調ではなく、その担保になるとともに事業所の存する本件土地建物を抜きにしては経営が成り立たなかったことは、だれの目からも明らかであった。そして、現在廃品回収業の経営が非常に厳しい状況にあることは、当裁判所に顕著な事実である。なお、本件遺言書作成日付当時の前後において、経営の実権を三郎から引き継いだ控訴人夏子とこれに反発する被控訴人とは反目し合っており、控訴人ら家族と被控訴人との間には確執が続いていた。甲子はその持分権者として、本件土地建物を金融機関に担保として提供するとともにその債務につき連帯保証をしていた(以上、甲四、乙一一及び弁論の全趣旨)。

(3)  もともと本件土地建物に関し、甲子と、三郎の相続人である控訴人らの持分合計は8分の4ずつで拮抗しており、しかも控訴人らと被控訴人との間に反目するところがあったのであるから、甲子の死亡後に本件土地建物すべてについて甲子の持分全部が被控訴人に遺贈されたならば、経営方針に関して相克が生じて(有)田中商店の経営が求心力を失い早晩破綻する結果になるのは、甲子にとって当然予測できたことである。その場合には、甲子の相続人に対して連帯保証債務責任が追及されることにもなるが、甲子の遺産は本件土地建物持分がほとんどであり、被控訴人にそれを全部帰属させると、他の法定相続人は債務だけを引き受けることになり兼ねない。甲子がそのような結果となる遺贈をしたと解することは到底できない。

他方において、甲二及び甲四によれば、被控訴人には亡父・太郎から直接に承継した不動産がなく、実兄の三郎も死亡して控訴人夏子との間柄も思わしくなかったところから、甲子は被控訴人を不憫に思っており、その将来を慮って本件遺言書を作成したと認めることができる(頭金1,000万円を支払うことを前提に、更に2,000万円の和解金の分割払をするとの控訴人らの和解案に対し、実質的には名目上のものにすぎない反面(有)田中商店の資金調達の制約になり兼ねない仮登記による担保権の設定を受けるのでなければ応じられないとの対応に終始した当審の和解手続における被控訴人の態度をみても、被控訴人は社会生活上適切な判断をする能力に優れているとはいい難く、控訴人夏子に頭を押さえられていたと推認することができる。)。

(4)  以上の事実関係を総合してみると、甲子は、せめて本件土地建物の一部を承継させようとして本件遺言書を作成したと解するのが相当である。すなわち、被控訴人が甲子の二男として法定相続人であり、本件遺言書作成日付当時(有)田中商店の専務取締役の地位にあったことから、その経営に参画する者として相当の発言権を確保するのに必要な資産を遺贈しようとして本件遺言書を作成したものと認められるのであり、前記(1)のとおり、本件遺言の不動産の特定に関する記載を合わせてみると、甲子が本件遺言において被控訴人に遺贈したのは本件建物の共有持分であると解すべきである。

七  控訴人らは、本件土地建物が共有物分割により競売されれば、売却代金のほとんどが抵当権者の信用金庫に対する借入金に充当されるので、(有)田中商店の経営が成り立たなくなるから、本件分割請求は権利の濫用に当たると主張する。しかしながら、本訴で被控訴人の請求が認容されるのは、前記のとおりの次第で本件建物についてのみであり、本件土地についての控訴人らの持分は維持される。権利の濫用の主張は前提を欠き、理由がない(後記のとおり、本件の共有物分割は競売によって行われるべきであるが、控訴人らが競落することによって、(有)田中商店の事業を継続する余地は存する。他方、被控訴人の主張のとおり、本件土地建物のいずれについても甲子の持分全部の遺贈があるものとして本件土地建物全部について共有物の分割のための競売を許すとすれば、(有)田中商店はその資金調達のための担保を失い、その廃業は必至である。それが甲子の意図したところでなかったことは明らかであり、前記和解手続の経緯に照らしても、権利濫用と認めるべきものである。その場合には被控訴人の共有物分割請求全部が棄却を免れないことになる。)。

八  前記のとおり、被控訴人が本件遺言の遺贈によって甲子が有していた共有持分を取得したのは本件建物のみであり、本件土地は本件遺言によっては取得していない。被控訴人の本件土地に関する共有物分割請求は不適法であり、却下を免れない。なお、被控訴人は甲子の法定相続人であるが、本件土地に関し遺産分割を経て共有持分を取得したことについての主張立証はないので、被控訴人からする共有物分割請求が許されないことに変わりはない。

本件建物の共有物分割の方法については、競売による以外に適当な方法は認められないので、競売によって持分に応じた売得金を各持分権者に取得させることを命じるべきである。

九  よって、被控訴人の共有物分割請求につき全部を認容した原判決を主文第一項のとおり変更し、遺言無効確認を求める反訴請求を棄却した原判決に対する控訴を棄却する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例